父のギャンブルと借金に揺れる家庭で育ち、母の必死の姿を間近で見てきた幼少期。
その体験があったからこそ、人の心に自然と寄り添える感性が育まれた。

彼の人生を大きく形づくったのは、二人の存在——憧れの西城秀樹と、吉本興業時代の師匠・桂三枝(現・文枝)。
高校卒業後は市役所に勤めながら、「やりたいことをやらずに終わりたくない」と芸能の道へ。
養成所を卒業したのち、映画『火垂るの墓』に出演。やがて吉本興業へ進み、舞台や賞レースに挑んだ。
もちろんその間も市役所職員として働き、夜は舞台やアルバイト、さらに心理学の学びも重ねていた。
「多足のわらじ。でも、後悔だけはしたくなかった」
やがて訪れたのは、夢のような瞬間。
憧れの西城秀樹のステージで、YMCAを背中越しに見た千秋楽。
そして、花束を手渡されたあの時の胸の高鳴りは「もう爆発」だったという。
その後、40歳で市役所を退職し、コンサルタントとして独立。
だが取引先を失い、どん底を味わった。
それでも「意志あれば道あり」の言葉を胸に、いつか必ず復活できると信じ続けた。
50歳で挑戦したのは、民間人校長。
スクールカウンセラーは国家資格が必須で断念したが、「子どもの時代に関わりたい」という思いを実現する道を選んだ。

校長として「ダンスがしたい」「雪まつりをやりたい」という子どもたちの声を形にし、覇気を引き出した。
さらに児童集会では「体育座り」をやめ、批判を受けながらも「話を聴くための自由な姿勢」を認めた。
8年間の校長生活を経て、今は心理士として全国的に知られるクリニックで活動している。
彼が見据える未来は、とてもシンプルで壮大だ。
「心理士が不要になる世界。すべての人が嫌なストレスのない世界」
その根底にあるのは、師匠から贈られた一言。
「意志あれば道あり」
そして、もう一つ。
「やりたいことならやってみる」
この信念で挑み続けてきた彼の歩みは、人は必ず変われるという確かな証拠である。
