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心のプロフェッショナルの軌跡:サラリーマン、芸能界、校長への道…そして

2022年3月末で、8年間にわたる公立小学校長の任期を一旦(?!)終えました。
(え?一旦って、まだ続けるつもりなのか?)

高卒で教員免許も持っていない自分が、よく8年間も校長を務められたものだと我ながら感心しています。

これも全て、子どもたちのおかげです。

校長職に就く前の10年間、私はこころのプロフェッショナルとして企業や学校、役所など公的団体、そして社員や教職員、保護者、子どもたちにセミナー、研修、カウンセリング、コーチングなどを提供していました。

新入社員や保護者、子どもたちを支援している中で、
「この人たちともっと早い時期に出会えていたなら、こんなに苦しい思いをしなくて済んだだろうに…」と強く感じるようになりました。

そう、もっと早い時期…小学生時代です!
そこで、スクールカウンセラーになろうと決めたのです。

しかし…

私が持っているカウンセラー資格は民間資格で、小学校に入るためには臨床心理士などの肩書きが必須でした。

諦めかけていたその時、目に飛び込んできたのが「民間人校長公募」の情報でした!

最終面接まで進んだその時、世間ではいじめによる自殺がメディアを賑わせていました。私も常日頃から命の重要性を語っていました。

最終面接でも、命の重要性や子どもたちのことを話していると、突然面接官の一人が…

「それより、あなた儲かっていますか?」

え?!

しかも、その人はメディアでゲストコメンテーターとして教育委員長として出演していた方でした。

頭の中は???だらけ。
つい口に出た言葉が…

「そんなの関係ありませんよね!」

ああ、これは落ちたな、と思いました。

数日後、手元に届いた封書を開けると…

不・合・格の文字。

縁がなかったのでしょう、その年の暮れのこと。

小さな新聞記事に「民間人校長公募」の文字が再び目に入りました。

まだ、チャンスの神様はいたのです…
最終面接では前回と同じことを話すと、面接官全員が頷きながら耳を傾けてくれていました。

「合格するかも…」

そして、任期満了を迎える頃…

なんと教育委員会に大量の嘆願書が届きました!
子どもたち、保護者たち、そして地域の方々から。

自分で言うのもなんですが…

ラストデーの挨拶時、体育館に集まった全校児童からはすすり泣く声や嗚咽の声…
「辞めないで!」の声…
もう、こちらも声に、言葉になりませんでした。

校長室に戻ると、卒業生たちが…。

こんな体験、私だけかもしれません…。

高校を卒業後、大学にも行きたかったのですが、家が傾きかけていたので収入を得て家計を援助しなければならない状況でした。

そこで市役所を受験し、そこから約23年間、様々な部署を経験しました。

給料をそのまま家に入れていましたが、このまま歳を重ねていくのは嫌でした。

そこで給料の一部を使わせてもらって、夢を追求し始めたのです。

それは、芸能界という名のフィールド。
養成所から劇団、そして芸能事務所…。

このころ出演したアニメ映画「火垂るの墓」は、その後の子どもたちとの関係を深めるのにも役立ちました。

さらには、大御所の門下に入り、吉本興業でも活躍のチャンスをいただきました。

夢に見たテレビ番組のレギュラー出演も。

大阪で開催された「花と緑の博覧会」には約一ヶ月間レギュラー出演もしました。

さらに、小学生時代からの憧れ…いや、尊敬している人との舞台公演にも共演できました。
その結果を手に入れるまで、様々なことにチャレンジし続けました。

このことも後の校長時代に子どもたちの自己肯定感を高めるのに大いに役立ちました。

その憧れ、尊敬する人との舞台は一ヶ月公演。

それから…

まだM-1は無かった頃、いくつかの賞レースにもエントリーしていました。
優勝は果たせず、準優勝が最高でした。

そこから月日が流れ…

こころの専門家として生番組のコーナーレギュラーを務めることになりました。
以前、放送局などで挨拶をしても無視されていた方がゲスト出演した時、その方から私に「先生、よろしくお願いします」と声をかけられることも…。

お気づきかもしれませんが、これらの体験中も市役所勤務は続けていました。
公務員は副業禁止ですが…ここでは詳しくは申しませんが、何とかなりました。
そう、諦めさえしなければ…。

その後、23年間務めた市役所を退職し、こころのプロとして40歳で独立開業しました。

それは多くの人たちから(特に家族や友人たち)猛反対されました。

「アホちがうか!」
「何考えてるの!」
「考え直し!」

それはそれは多くの人たちから…。

当時、子どもが幼稚園に入ったばかりでローンを組んで家を購入したばかりでしたが、よく折れなかったなと自分でも思います。

そして、10年が経った50歳での校長職への挑戦。

その後は先に述べた通りです。

今は不登校児童生徒の支援に携わっています。

ただ、まだ進化しようとする小さな炎がこころの奥で灯り続けています…。

一生青春
意志あれば道あり